二月にライブします

来月ミナミテツライブします。といってもみやさんが行方不明なので不参加、カネはいるけど原型をとどめない感じの編成でやることになると思います。曲の半分歌っているボーカルが1人いなかったとしてもまあ別に、ライブの編成なんて永遠にフワフワしていくのがいいと思ってる。日程や詳細は解禁のタイミングでまた。

2013年2月のライブのmcでミナミテツは今年は最後のライブになるかもしれませんて言ってて、たぶんほんとにそれが最後だった、2013年どころか現時点までで。
ちょうど五年空いたことになる。五年といえばまあまあひとかたまりの時間といえる。時間を隔てたからといってそれがなんだと言うわけでもないけれど。じゃあ少し昔話をするので聞け。今度のライブとはまじで関係ない話だけど。

2009年がよしむらひらくとしての活動がとても充実していた時期で、でもまだ当時とにかく若かったおれは、個人的な悲惨な出来事をきっかけに翌2010年の後半をかなりまずい精神状態で過ごし、そこから立ち直りきらないままに2011年3月の地震津波原発事故とその後の状況の中に突っ込むことになった。今から考えればちょうどあの頃、ひとつだけでも慣れて乗りこなすのが大変な新しいものや状況がいっぺんにたくさん来てしまっていた。おれの個人的なことだけじゃなく、たとえばツイッターに始まるインターネット2.0とでも言うべき状況とか(2.0なのか1.1なのか7.0ぐらいなのか、わからんけど)。
ガタガタだけれど頭だけがギンギンに冴えていた。暇だったからひたすら考え事をして1日が終わるというのが何ヶ月も続いた。
そこで同じように暇だったみやさんとカネと仲良くなった(2人がそれまでやっていたバンドの解散をおれが後押しする形になってしまうできごとがあった。続かない方が健全と感じるものを見つけると急いで崩しにいってしまうようなところがあった。瘡蓋を焦ってガリガリやっちゃうような。自分が関わったことを後悔はしているけれど)。
2人は互いに似てないけれど、とにかく頭が良く、かつ決定的にイケてないというところが共通していた。2人の存在は確実に当時のおれの支えだった(この支えが無い方がのちのち良かったという予想もできるにはできるけれど、ともかく)。2人とはそれぞれ、本当にいろんな話をした。

たまたまできる楽器がドラムとベースだったので、おれが遊びで入ったスタジオに2人を当日呼んで(しかも来た)、そこからそのままなんとなく、というのがこのバンドの成り立ちである。
ライブの数が少なかったからか一本一本のことは割とよく覚えていると思う。一度、良いライブができたことがあった。

はじめはコソコソとやっていて、ある日よしむらひらくの当時のレーベルのディレクターに呼び出され、怒られた。おれに非がある別件で揉めている文脈の中でのことだったので相当険悪になった。これも今では良い思い出と言えるけれど、やっぱりどう考えても2010〜2012ぐらいのおれの言動には不可解な点が多すぎる。言い訳っぽいか。でも自分のそんなところが結局好きで、無理に矯正することなくいかにまともさと折り合いをつけていくか、ということに人生を費やしてきたし、これからも大まかに言えばそのために生きていくのだと思う。
自分のうちの御しきれない全体的な停滞感、無意味な内側での対流、ある文脈では発達障害と呼ぶことになるであろうそういうものが、おれが知性とみなすものの源であり、アイデンティティの根拠であり、ともすれば純粋なナンセンスと片付けてしまえる人生に歯ごたえを与えているのだと思っている。
しかしそのうえで、他人と自分との根本的な無関係性に拠って、自分の人生に不確定要素として乱入してくる複雑な他人の生は、「多少歯ごたえのある無意味」だと一度は括ってしまった自分の人生の花になりうる。友達の存在が、無意味さに疑いを持ち、もう一度はじめから洗い直して考えてみようと思わせてくれることに繋がる。
自分の内側だけでは希望や楽観を生産することはできないと一度判断したとしても、それが人間一般に共通のものだと思い込まない限りは、そしてさらに他人の言動が不確定要素であることのフラストレーションを受け入れる覚悟さえあれば、友達の存在が、不確定であるからこそ無限に希望になりうる。
家族とは違って縁を切ることもたやすい、でも根拠もなしにこの縁は切れることはないだろうと思えてしまうのが友達で、おれにとってそんな友達というものの象徴であるこの2人との遊びの延長がミナミテツというバンド、ということになる。2人からは本当にいろんなことを教わったし、これからもそうだと思う。

おまけにバンド名の話。
みやさんやカネと仲良くなるのと同時期、先述の通りともかく不安定な思春期を引きずって内面的な伸長への希求に傾倒したおれが、世人の倍ものを考えるにはどうしたらいいかと思案してもうひとつ人格を仮定した、それが南哲の誕生だった。実際に何をしたかって、南哲のツイッターのアカウントを作ってよしむらひらくと対立させた。似たことをつい最近AV監督の西くんさんがやっているのを見た(たぶんすぐ後悔すると思う)。
よしむらひらくがファーストを出して、言動に制限がかかっていると意識過剰になってしまったのも要因の一つではあったけれど、雑な切り捨てかたをしてしまえば地震のあとの状況を生き抜いていくためのガス抜きとしての倒錯だった。性格の悪い(別に悪い意味ではない。その人のことは超尊敬してる)先輩からは直接会った時にからかわれたりもした。
冷静になってこの仮定別人格の落としどころ、というより引っ込めかたをどうしようか、と考えたときに、新しくやるバンドに転用すればまあ、お茶を濁しながらもただの取り下げ=全否定にはならず、南哲という名前を作り出した自分の恥と希望の志を自分で忘れずにいられるのじゃないか?と思い至った。
そんなわけでバンド名はminamitetsuになり、シンボリックに登場する詩人として(最期にされたりon the roadにされたりとかなり散々な扱いではあるにせよ)南哲は名前だけが残った。